記念すべき初投稿。
韓国語の「여부(与否)」がどうして「そうなのかどうか」という意味になるのか、ずっと疑問だった。自分が知らないだけで「与」にはyesの意味があり、「与/否」が「yes/no」に対応するのだろう、ぐらいに思っていた。今日、何となく気になって「与否」をググってみると中国語の辞書がひっかかった。
中国語の「与否」の意味を「…であるか否か」と説明している。それを読んでようやく、「여부(与否)」の中で「여(与)」が占めている意味が分かった(気がした)。
中国語の「与」には「~と」という意味がある。つまり、「与否」は直訳すれば「~と否か」だったのである。「사실여부(事実与否)」であれば、「事実と否か」ということになる。ただ、意味としては「~か否か」のはずで、なぜ「或否」とかではないのかは分からない。andもorも似たような接続詞、という発想なのだろうか。
となると、「사실인지의 여부」のような表現において、「-인지의」の部分は完全に「여(与)」とかぶってしまっていることになる。(모래사장や역전앞のように固有語+漢字語の時に起こりやすい現象のようなので特に不思議ではないのだが。)
とはいえ、「생사여부(生死与否)」という言い方が可能なところからみると、現代韓国語の여부の意味は、本来の中国語としての「与否」から少し乖離していると言わざるを得ない。「여부(与否)」が元通り「~か否か」という意味を持っていると仮定すると、「생사여부(生死与否)」は「生きているか死んでいるか否か」となり、3択の質問になる上に「否」が何を指しているのか分からなくなってしまう。実際には、現代韓国語における「생사여부(生死与否)」は「生きているか死んでいるかどちらなのか」という意味を表しており、「여부(与否)」はここでは「どちらなのか」という意味で用いられている。
このことから、「여부(与否)」の本来の用法は反意語を含まない二文字語に後接するものだったのだが、後で使用範囲が拡大して「XY」(XとYは反意語)にも使えるようになったのではないか、という推測が可能になる。もちろん、歴史的な資料を見れば、「여부(与否)」の用法が実際に上のように拡大していっているのかを調べることは可能なのだろうけど、とりあえずここでは頭の中で考えた可能性を提示するだけにしておく。
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